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史跡めぐり《石垣山一夜城/小田原市》

  今回の史跡めぐりウォーキングコースの紹介。

  起点は箱根登山鉄道「入生田駅」、終点がJR東海道本線「早川駅」整備された路歩き、「長興山紹太寺」で「しだれ桜」を見て、戦国後期から江戸初期にかけての史跡が多く、動植物の案内板や、小田原攻めで石垣山に参陣した武将8人の案内板などもあり、あらためて歴史を感じながら歩くことになる。
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  1590年豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いた「石垣山」、世に石垣山一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためらしいが、実際にはのべ4万人が動員、約80日間が費やされたとのこと。

  石垣山一夜城はその後、大地震などもたくさんあったはずだが、それににも耐えて、当時の面影がよく残されている。展望台(本丸付近)からは小田原市内がよく見渡せる。(上写真)

国宝「縄文のビーナス」 《尖石(とがりいし)縄文考古館/長野県茅野市》

  昨年夏以来、トレッキング、写真撮影、スキーなどで、中央道・諏訪南ICを利用した信州の蓼科、八ヶ岳山麓のエリアに行くことが多くなった。

  事前にルート検討をするのだが、縄文の歴史に興味を持つ私、気になって仕方がなかったのが、『尖石縄文考古館(とがりいしじょうもんこうこかん)』(長野県茅野市)、やっと先日帰り際に寄って来た。(観覧料500円)
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  この辺りには縄文時代中期(4000年から5000年前)、発見されている住居址が150軒以上、完全に復元された縄文土器は600点にもなるという。そのなかで、出土日は割と最近(1986年)という国宝に指定されている「縄文のビーナス」(上写真)が超有名、高さわずか27cm、お腹とお尻は大きく張り出して、妊娠した女性なんだろう。(この時代の出土品に男性を模したものを私は知らない)

  2年ほど前に訪れたこれまた有名な「三内丸山遺跡」(青森市)といい、この縄文の大規模集落が発見されるのは、どうしてこんな寒いエリアなんだろう。自分ならもっと暖かいところに住むのになどと、ズブの素人らしい疑問を持ってしまう。

「金沢」という歴史

  金沢というと「前田利家の城下町」「兼六園」(雪が残る二日目の朝に予定変更して再訪、撮った構図がガイドブックと同じ絵柄なのにがっくりの写真下)くらいしか、思い浮かばなかった私。街中を歩きながら、ガイドブックやいろんな資料を読みながら、知らないことにいろいろ気付かされる。
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  初日の夜、「四高記念文化交流館」(写真下、重要文化財)という瀟洒な建物のライトアップに出会う。一高が東京、三高が京都というのは知っていたが、四高が金沢とは知らなかった。調べてみれば、明治維新の頃の金沢は人口は東京、大阪、京都、名古屋に次ぐ日本第5位、だから旧制第四高等学校(金沢大学の前身)が置かれたのだろう。
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  江戸幕府の加賀百万石の城下町、藩は内向きの産業や工芸を奨励、そのため「加賀友禅」「九谷焼」などを育成し有名になる。金箔の製造は全国シェアの98%、また京都市や松江市などと並ぶ「日本三大菓子処」だそうだ。 (写真下は観光スポット「ひがし茶屋街」での金箔店での商品、金箔商品は高いから買えないけど、老舗店の和菓子はお土産に買いました)
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  日本に住んでいて、歴史好きとか言いながら、実は「日本」も「歴史」も何も知らないことを感じた北陸一の古都「金沢」の旅でした。(知らないことを知るということは「面白い」)

昭和の香り

  今日(10月22日)は天皇陛下が「即位礼正殿の儀」で即位を内外に宣明されたことで、新しい元号「令和」が名実ともにスタートしたような気持ちになる。

  写真は厚木市内をクルマで走っていて信号待ちのときに、「昭和の香り」がする家屋を高層マンションの間に見つける。(iphone撮影)
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  大体、この「元号」を制度として使っている国は、もはや日本だけになっているそうな。自分自身の生きてきた期間を思うと、昭和>平成であり、昭和の時代の雰囲気感が、何やらとても懐かしく感じる。今から考えると、格差は今ほど少なく、概ね皆がモノ的には貧しいのだが、「今日よりは明日がきっと良くなると確信を持っていた」時代のような気がする。

  還暦を過ぎた自分の残りの寿命を思えば、訪れるであろう次の「即位礼正殿の儀」を見られる確率は相当低いに違いない。昭和、平成、令和の3つの時代を生きたと言われるんだろうか。

  

十字軍物語 第二巻

  読書の醍醐味は興味あるいは好奇心が次々と連鎖していくことかと思う。前回読んだ続編、『十字軍物語 第二巻―イスラムの反撃―』(新潮文庫、塩野七生著)を読む。

  第一巻ではローマ法王が、異教徒に立ち向かえ「神がそれを望んでおられる」、しかも参加すれば免罪(殺人犯でも盗賊でも罪が許される・・・)され、烏合の衆が第一次十字軍を結成して、キリスト教の聖都エルサレムをイスラム教徒から奪還する(西暦1099年)ところまでだった。
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  しかし、第一次十字軍を率いた諸侯が故人となり、ヨーロッパに兵力も引き上げ、駐留軍は大した勢力でない、しかも統率力のあるリーダーもいなくなって、キリスト教サイドは守勢となっていく。キリスト教の支配下にあった地域が奪還されてしまい、法王に新たな十字軍の派遣を求める。しかしながら、結成された第二次十字軍はフランス王と神聖ローマ皇帝に率いられながらも統制が取れずに、ダマスカスのイスラム軍と対峙してわずか4日間で退却してしまうという大失敗の終わる。(1148年)

  この体たらくのキリスト教側と違い、今度はまとまりを欠いていた(領主間で争うだけで団結しない)イスラム領主たちの中から、徐々に傑出したリーダー(最終的にはサラディンというクルド人という少数民族出身)が輩出しだす。そして結局、キリスト教サイドは100年保たずに、せっかく治めていたエルサレムを失ってしまう。(1187年)

  この著書の冒頭に「人材とは、なぜかある時期に、一方にだけ集中して輩出してくるものであるらしい」とあって、第一次十字軍の時にはキリスト教側に、その後は今度はイスラム側にいわゆるリーダーシップを持った人物が出てくる。これなどは、何もこの時代に限ったことでもないし、現代の企業を見ても、リーダーとして(運があったとしても)逸材が出た時期と、その後そのような人物が出ない時期のダイナミックさや業績の差は明らかなんだろう。


プロフィール

風城しん

Author:風城しん
1950年代半ば生まれ。時間があるのでいろんなことに興味を持つ。日々、思うこと、感じたことを少しずつ書き留めて行きます。

2019年2月『直腸癌ステージⅢ』の宣告を受けて即入院手術。4月より半年間の抗がん剤治療、その後、一時的ストマ(人工肛門)閉鎖手術を年末に終え、現在は「経過観察フェーズ」中。

所属する神奈川写真会ホームページへは以下をクリックして下さい(2020/4月より「活動ブログ」「WEB写真展」などに投稿始めてます)

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【撮影機材】
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