2020/08/08
「李登輝」元総統への弔問記帳
政治家だの著名人だの、自分が直接関与してはいない人物の葬儀やいわゆる「お別れの会」には出たこともないのだが、初めてこういう場に自分の意志で行ってみたくなる。台湾「李登輝元総統」が先月30日にご逝去され、台北駐日経済文化代表処(港区白金台、大使館に相当)で弔問記帳受け付け(3日〜7日)が始まっているということを聞き、「元台湾駐在員」として、いてもたってもいられず訪問する。李登輝氏は1923年(大正12年)生まれ、「21歳(1945年)まで日本人だった」と公言するくらい(終戦時、京都帝国大学在籍)の親日家で、本省人初の中華民国総統、「台湾民主化の父」と評価される。(少ないですが、氏の著作も読んでます)

台湾には「日本語世代」と呼ばれる人たちがいて、日本語をとても流暢に操る。つまり1945年まで日本が統治していたときまで日本の教育を受けていた人たちを指す。この、もっとも代表的な人物が元総統の李登輝氏になるだろう。私が駐在時代に知り合った元新竹市長もその一人で、身寄りのない子供たちを世話をしている養護施設の運営をされていた。結局、この方とは4年ほどお付き合いをさせていただいたのだが、このご夫婦がちょうど日本語世代で、個人的に本当に尊敬することばかりだった。
これはとは別に『街道を行く 台湾紀行』(司馬遼太郎著)に出てくる司馬氏が台湾訪問時に世話をする「老台北」こと蔡焜燦氏とも、とある場面で会食をする機会を得たのだが、恥ずかしいながら「日本人としての生き様」を教えられた覚えがある。(この方も、2017年にお亡くなりになっている)
中国の出方に忖度して、東日本大震災の際には最大の義捐金をいただいた国・台湾の「元総統」の葬儀に日本国として特使を送れないような恥ずかしいことにならいように願っている。