2013/01/31
一人の時間
一泊出張で秋田新幹線での帰路、人が人生の中で消費する時間の“カテゴライズ”(分類)について考えている。まだ、上手くまとまった訳ではないのだが大まかに云って以下の3つぐらいに分けられるのではないかと考えた。1)家族の時間
2)社会の時間
3)一人の時間
生を受けておそらく幼いころは父母や兄弟姉妹に囲まれている家族の時間が支配的であったろう。その後、幼稚園や小中学校へ行き出すと子供ながらも社会や他人(先生、友達など)を意識する社会の時間のウェイトが高くなって行く。もちろん、自我みたいなものが芽生えて来るので一人遊びや勉強などの一人の時間もわずかだが増えていく。
就職すれば仕事という社会の時間がそれは支配的になるし、結婚すれば夫婦という新たな家族の時間が増える。子供などが出来れば休みの日はほぼ子供という家族の時間に専有されていたことを思い出す。今現在はどうだろう?仕事という社会の時間はまだ大きな比率ではあるがポジションが上がるに連れて中身には余裕があるようになって来た。覗かれない役職席や個室なぞに居れば、正直言えば仕事以外のことを考えている時間も多くある。これは一人の時間とカテゴライズ出来るかも知れない。子供も大きくなれば、過干渉は好まないし、独立すれば子供との家族の時間も非常に少なくなる。夫婦という家族の時間も単身赴任を何年も続けていれば大切にはしたいが、物理的にこの時間の比率は少なくなっている。そして、最近は例え夫婦で一緒に居てもお互いの一人の時間は尊重したいと思い始めている。一人の時間の“Quality”が問われている。